雑食こけしの読書録

読書記録をメインに趣味のことをゆるく書いています

今村翔吾『じんかん』

松永弾正秀久。

時代小説ファンならば知らない者はないでしょう。
主家を乗っ取り、将軍を弑し、東大寺大仏殿に火をつける、という大悪をやってのけた大悪人として華々しい(?)名を残しています。
しかも、その死も織田信長に反逆し、値打ち物の茶器である平蜘蛛とともに天守閣にて爆死という凄まじいもの。

これだけのエピソードを持っていて、時代小説に登場するなというのが無理な話でしょう。
そんな松永弾正秀久を主人公として描いたのが本作です。

彼はなぜ、このような悪行に至ったのか――
十代の少年時代から最後の謀反に至るまでが、松永弾正秀久目線、織田信長の小姓目線で交互に描写することで明かされていきます。
どん底の少年時代を経て、彼(幼少期は九兵衛と名のっています)は野盗仲間の多聞丸・日夏、宗慶和尚、そして三好元長。多くの人々との出会いによって、九兵衛は生かされ、成長していきます。
ただし、その中でも彼の中にふつふつと湧き上がる思い。

――人は何のために生まれてくるのか。

苦しむためなのか? そんなわけがない。神仏がいるのならば、なぜみすみす苦しむ者たちを見捨てるのか。神仏が何もしないのであれば、自らがそんな世を作るのだ。少年九兵衛が抱いた思いは、松永秀久としての生涯をずっと貫き続けるのです。

私の大好きな山田風太郎作品では、松永弾正秀久=悪の権化として描写されることが多く、すっかりそのような先入観を持っていたのですが、人物については様々な説があるようですね。
本作では主人公を張っていますので当然のことながら、松永弾正は悪の権化ではなく己の理想のために戦う男として描かれています。後世の解釈や信念などもあるのでしょうから、彼が本当に本作のような崇高な意志を持っていたとは決して思いません。しかし、それもまた解釈のひとつ。

タイトルである「じんかん」は「人間」と書き、仏教では人の世を意味する言葉だそうです。
己の理想とする世界。誰もが自分の命を生きることのできる世界を夢見て「じんかん」を駆け抜けた男。ひとつの青春小説として楽しめるのではないかと思います。