雑食こけしの読書録

読書記録をメインに趣味のことをゆるく書いています

荻野 慎諧「古生物学者、妖怪を掘る―鵺の正体、鬼の真実」

タイトルの通り、古生物学者である著者が「妖怪」について古生物学的観点から真面目に考察をしてみた、という一冊です。妖怪については門外漢と著者は謙遜していますが、どうしてどうして。妖怪についての造形も深く、読み物としてとても面白いです。

分類といったところを専門としているらしく、妖怪に対するアプローチも外見・生態などの特徴から、この妖怪を分類していくといったものになります。

「妖怪」(異獣・異類)は、生類の枠に当てはまる「ヒト」や「畜生」の中において、よくわからない、正体不明なものをすべて放りこんでおく「ゴミ箱分類群」としての役割が非常に大きかったと考える。

つまり、よく分からないものはとりあえず妖怪として分類しておく。それにより、妖怪は地域差や時代による差が生まれやすく、ある妖怪に対しても統一的なデザイン、生態に集約しにくいとということらしいです。

それらを細かく分類していくことで、元になった生き物を紐解いていくこともできるのです。

たとえば、有名な河童ですが、古い情報には「緑色ではなく赤色をしていた」り、「大きさは三寸程度で、水たまりに無数にいる」という記録もあるそうです。さらに、河童から傷が治る薬をもらうという話を鑑みて、これは再生能力のあるアカハライモリあたりがモデルになっているのでは? と著者は思考を巡らせます。

おそらくこれは、正解を知りようもない思考実験のようなものでしょう。ですが、このように順を追って考えられていくのを読むと、なんとなく納得してしまうから不思議です。

鵺の正体、一つ目の正体 (これは有名かもしれませんが) など様々な妖怪の正体について考察をしています。文章も軽妙でするすると読めてしまいますので、ちょっとした話のネタに読んでおいて損のない本だと思います。

廣嶋玲子 『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』

選ばれた者だけが客として訪れることのできる駄菓子屋「銭天堂」
他の駄菓子屋にはない奇妙な品揃えのお店は、紅子さんと名乗るふっくりとしたおばさんが一人で切りもりをしています。

売っている商品も収録されている順に

  • 型ぬき人魚グミ
  • 猛獣ビスケット
  • ホーンテッドアイス
  • 釣り鯛焼き
  • クリスマスボンボン
  • クッキングツリー

と奇妙なものばかり。例えば、人魚グミは食べるとまるで人魚のように水の中を自由に泳げるようになる不思議な力を持っています。紅子さんがおすすめする商品は、どれも客のこどもの今の悩みを見事に解決してくれるようなものばかりで、それに駄菓子だけあってとても値段も安いのです。

子どもは飛びつくように購入して、その不思議な力を堪能します。

しかし、こういう不思議な力の常として、禁止事項とそれに伴う副作用が存在します。例によって例のごとく、禁止事項を破ってしまって……

アニメ化されたり、書店でよく見かけるので気になって読んでみました。ジャンルが児童小説ということもあって、登場人物はほとんど小学生で、副作用の効果もそれほどキツくなく、取り返しのつくものが多い印象です。

ライトなわらうせえるすまん、といった感じでしょうか(あるいは、ダークなドラえもん?)。ふっくらした紅子さんの容貌といい、意識していそうな気がします。笑うせえるすまんは、紛れもなくこの世界に入り込んだ悪魔という感じですが、紅子さんはもう少し曖昧な、どっちつかずの存在ですね。いい子にはちゃんと救いの手を差し伸べてくれます。

一話一話も短く、破滅的な話はなく安心して読める小説でした。こういうの、子どもは好きですよね。

マシュー・サイド (著)、有枝 春(訳) 『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』

失敗なくして成長なし。失敗とはけっして蓋をすべく臭いものではなく、改善・成長するための重要な糧なのです。

  • 失敗することによる学び
  • 失敗を避けることによる停滞

「小説のようにおもしろい!」という煽り文の通り、失敗にまつわるエピソードの数々はどれも非常におもしろく、考えさせられます。

失敗をうまく活かしている代表例は航空業界。ミスが起きた時に行う徹底的な原因究明は、「誰の責任か」ではなく「何が問題か」という仕組みそのものに対して行います。

失敗の責を負わされることがないため、個人は些細な失敗も報告できるようになり、失敗が小さい段階で改善することができます。これが、ミスの起こりにくい体質である理由だそうです。

ニュートラルな視点で失敗を評価・分析すれば、進歩につながるのです。

失敗とはまた、反証でもあります。

擬似科学の世界では、問題はもっと構造的だ。つまり、故意にしろ偶然にしろ、失敗することが不可能な仕組みになっているのだ。だからこそ理論は完璧に見え、信奉者は虜になる。しかし、あらゆるものが当てはまるということは、何からも学べないことに等しい。

科学には再現性がなければなりません。批判をされ、議論を重ねて、改善をすることで科学は発展してきました。そうでないものは科学ではなく擬似科学似非科学とも)です。

失敗を恐れてはいけない。失敗から目を背けてはいけない。
自省の意味も込めて大変にためになる本でした。

松岡 圭祐 『万能鑑定士Qの事件簿Ⅰ』

シリーズの1、2で完結に至るため、2巻分まとめて読んだ感想を。

万能鑑定士という肩書を持つヒロイン凛田莉子がその広範な知識を武器に様々な事件を解決するというストーリーです。1、2巻は連作短編の体をとっています。

全てのはじまりは「力士シール」でした。都内のあちこちに貼られた、小太りの男のイラストです。犯人も目的も不明。清掃担当の仕事を増やすほか、特に実害はないという奇妙な事件です。
新米雑誌編集者の小笠原が偶然手に入れた力士シールを手に、やってきたのが莉子が店主をつとめる「万能鑑定士Q」でした。美人で不思議な魅力を持つ彼女に小笠原は魅力され、行動をともにする(付いていく)ようになります。

力士シールを一端とする事件は、やがて、日本経済を揺るがすものへと膨れ上がっていきます。自分の大切なものを守るため、莉子は立ち向かっていく。

というのが、全体の流れでしょうか。

ミステリというよりも麗しきヒロイン凛田莉子のキャラクター小説ですね。元々は天然で勉強が苦手だった田舎の少女が、深い知識を持つ聡明な美女へと変身していく過程を楽しむものなのかもしれません。

ただ、知識を得ても抜けているところは変わらないようで、事件を解決しました。しかし、これは勘違いでより事態を悪化さてしまいました。犯人を見つけるため、無理を押して遠地に飛びました。これも勘違いでした、の連続で、本当に聡明なのだろうか、と疑問を覚えてしまいました。

探偵役は完璧な動きをするのがミステリの原則だと思っていますので、これがミステリかと言われるとうーん、となります。

ヒロインが好みにハマれば楽しめる小説なんだと思います。

永井 路子 『日本夫婦げんか考』

イザナギイザナミの時代から夫婦は喧嘩を繰り返してきました。それは、人間が子供を作り脈々と血を繋いできた歴史から考えると避けようのないことなのでしょう。とはいえ夫婦げんかは、夫婦のありようを如実に示していると言えるのかもしれません。

本書はイザナギイザナミをはじめとし、古代〜江戸におよぶ十七の夫婦げんかについて語られています。犬もくわない夫婦げんか。いやしかし、これがまた面白いのです。単なる痴情と一蹴するのではなく、時代背景・周囲の環境などの機知を含めて語られる夫婦のいさかいはとても、とても興味深く勉強になります。

その中の一遍は、女好きの豊臣秀吉とそれに手を焼く正妻おねねの話。有名な話ですが、おねねに宛てて、織田信長が書いた手紙には、君主でありつつも家臣の家庭環境にも心を配る苦労人じみた姿が浮かび上がってきます。冷酷無比という印象のある織田信長は実は気配りさんだったのか、あるいは、おねねがよほどの傑物だったのか、そこまではわかりませんが、歴史の教科書ではわからない人間性が浮かび上がってきて面白いです。

日本史もこういう枝葉を教えればもっと子供は興味を持つんじゃないかなと思います。

一気読み必至の一冊でした。

永井路子さんは最近になって読みはじめたのですが、文章も読みやすく、周辺知識も丁寧に盛り込んでくれてとても面白いです。(つい先日、お亡くなりになられたというニュースがありました。今後、追えないのは残念ですが、ご冥福をお祈りします)

恒川 光太郎 『スタープレイヤー』

チート能力を持っての異世界転移。

Web小説界隈ではそういう設定がブームです(でした?)。冴えない人生が一気に華々しいものへと切り替わり、転移先の異世界では思うがままに物事が運び、紛れもなく自分がスターで主人公。異世界での一発逆転です。ご都合主義ではある反面、世の中の様相を表していておもしろいなあ、と思ったり。

ホラー小説で名を馳せた恒川光太郎がこういうタイプの話を書いていたと知りませんでした。元々、ファンタジー風味のホラーという雰囲気ではありましたが。

主人公は斉藤夕月。
女。三十四歳。無職。

七年前のとある事件から、片足と心に後遺症をもつ夕月は、まともに就職もできず鬱々とした毎日を送っていました。そんなある夜、夕月は不気味な男のもつ福引で、「一等 スタープレイヤー」を引き当てるのです。

次の瞬間、夕月は見知らぬ場所にいました。

彼女の目の前には奇妙な石板「スターボード」があります。「スタープレイヤー」のみに与えられた十の願いを叶えられるという力。夕月はこの力を使って何を成し遂げるのか。

というのが大まかな流れです。

よくあると言えばよくある設定です。

とはいえ、主人公である夕月が実に俗っぽい。なにしろ、初めのいくつかの願いの使い道が、金銀財宝でできた豪華な住居を作ることと、自分の外見を完璧なものに変えることなのですから。あまりに浅はか。のちに夕月も自分自身の浅はかさを後悔したりするのですが、まあ、でもそこもリアルなのかもしれません。

異世界における民族間の紛争への介入を決断するきっかけも、自衛と非常に単純な正義感からでした。

たかだか一人の人間がチート能力を与えられたからといって、力の及ぶ範囲は卑小なものであって、世界を変えられるほど大層なものじゃない。本作は、昨今のチートライトノベルに対する冷笑じみたものを感じます。

夢はないですが、まあ現実はそんなものなのでしょう。
ハッピーエンドでは終わりますので、ご心配なく。

今村翔吾『じんかん』

松永弾正秀久。

時代小説ファンならば知らない者はないでしょう。
主家を乗っ取り、将軍を弑し、東大寺大仏殿に火をつける、という大悪をやってのけた大悪人として華々しい(?)名を残しています。
しかも、その死も織田信長に反逆し、値打ち物の茶器である平蜘蛛とともに天守閣にて爆死という凄まじいもの。

これだけのエピソードを持っていて、時代小説に登場するなというのが無理な話でしょう。
そんな松永弾正秀久を主人公として描いたのが本作です。

彼はなぜ、このような悪行に至ったのか――
十代の少年時代から最後の謀反に至るまでが、松永弾正秀久目線、織田信長の小姓目線で交互に描写することで明かされていきます。
どん底の少年時代を経て、彼(幼少期は九兵衛と名のっています)は野盗仲間の多聞丸・日夏、宗慶和尚、そして三好元長。多くの人々との出会いによって、九兵衛は生かされ、成長していきます。
ただし、その中でも彼の中にふつふつと湧き上がる思い。

――人は何のために生まれてくるのか。

苦しむためなのか? そんなわけがない。神仏がいるのならば、なぜみすみす苦しむ者たちを見捨てるのか。神仏が何もしないのであれば、自らがそんな世を作るのだ。少年九兵衛が抱いた思いは、松永秀久としての生涯をずっと貫き続けるのです。

私の大好きな山田風太郎作品では、松永弾正秀久=悪の権化として描写されることが多く、すっかりそのような先入観を持っていたのですが、人物については様々な説があるようですね。
本作では主人公を張っていますので当然のことながら、松永弾正は悪の権化ではなく己の理想のために戦う男として描かれています。後世の解釈や信念などもあるのでしょうから、彼が本当に本作のような崇高な意志を持っていたとは決して思いません。しかし、それもまた解釈のひとつ。

タイトルである「じんかん」は「人間」と書き、仏教では人の世を意味する言葉だそうです。
己の理想とする世界。誰もが自分の命を生きることのできる世界を夢見て「じんかん」を駆け抜けた男。ひとつの青春小説として楽しめるのではないかと思います。